ACHIEVEMENTS
ACHIEVEMENTS研究成果
ACHIEVEMENTS
プレスリリース
2025.10.22
◇ EPR分光法※1を用い、ミルの三重項励起状態※2を解析。
◇ シフォネインは、クロロフィルaの余分な励起エネルギーを受け取り、効率よく放出することで、エネルギーの過剰を防ぐ仕組みを持つことが明らかに。
光合成生物が太陽光を効率よく化学反応に使う仕組みを解明するためには、類似のタンパク質で色素の構造や配置のみが異なる光合成アンテナについて、精密構造と光応答の実験データを蓄積することが極めて重要です。
大阪公立大学人工光合成研究センターの藤井 律子准教授と大阪大学蛋白質研究所の関 荘一郎特任研究員(常勤)、イタリア パドバ大学のAlessandro Agostiniテニュアトラック博士研究員らの研究グループは、EPR分光法を用い、ホウレンソウと海藻ミルの光合成アンテナを解析。ホウレンソウではクロロフィルの三重項励起状態が微弱ながら観測されるのに対し、ミルでは観測されず、カロテノイドによる消光効率が極めて高いことが示されました。また、T-S法※3の併用により、クロロフィルaの励起状態からカロテノイドの三重項状態へのエネルギー移動が明確に関連づけられました。三重項エネルギー移動は色素間の配置に敏感であり、クライオ電子顕微鏡法※4による構造解析とDFT(密度汎関数法)※5法によるシミュレーションの結果、消光※6はシフォネインによって高効率に行われていることが判明しました。今後、消光効率を上げるカロテノイドの分子構造の特徴がより明らかになり、最終的には光合成アンテナを最適化する色素の分子設計が可能になると期待されます。
本研究成果は、2025年10月15日に国際学術誌「Cell Reports Physical Science」に掲載されました。
図1 左)海藻ミル(海松、Codium fragile)の光合成アンテナ(Cf-LHCII)の構造。L1サイトでは、
密集しているクロロフィル(Chl a610〜a612、緑色)の近くにシフォネイン(Sn、橙色)が結合している。
右)1.8 Kの極低温で測定したマイクロ波誘起三重項-一重項差(T-S)スペクトル。
シフォネインの三重項励起状態がクロロフィルの一重項励起状態から生じていることを直接示している。
関 荘一郎研究員
植物の進化を明らかにする上で重要な研究基盤を解明でき、非常に光栄です。
本研究により将来的に緑色植物の進化の過程が明らかになることを期待しています!
光合成生物が太陽光を効率よく化学反応に使う仕組みは、陸上植物の光合成アンテナLHCIIのX線結晶構造解析が2004年に科学雑誌Natureに発表されて以来[1]、実験と理論の両面から理解が進んできています。しかし、現在の理論を検証し、完全に解明するには、類似のタンパク質で色素の構造や配置のみが異なる光合成アンテナについて、精密構造と光応答の実験データを蓄積することが極めて重要と考えています。そこで本研究グループは、陸上植物と同系列の光合成装置を持ち、独特の色素を持つ海洋性の光合成緑藻に注目しています。
海の中では太陽光のうち相対的に緑色の光の割合が多くなります。そこに暮らす海藻であるミル(学名Codium fragile)は、陸上植物と同じ緑色植物でありながら、緑色の光を光合成に利用できる集光アンテナLHCIIを持ちます。緑色植物のLHCIIはクロロフィルとカロテノイドという2種類の色素が結合した膜タンパク質で、本研究グループがミルのLHCII(Cf-LHCII)の構造をクライオ電子顕微鏡法による高分解能構造解析で明らかにした[2]ところによると、ミルでは、カロテノイド色素がルテインからシフォナキサンチンとシフォネインに、クロロフィル色素の一部がクロロフィルaからクロロフィルbに入れ替わっていました(図2)。
集光アンテナは、必要なエネルギーを反応中心に供給するだけでなく、過剰なエネルギーを速やかに散逸(消光)し、生体システムを保護するという役割も併せ持ちます。このような色素間のエネル
ギーの授受のメカニズムを解明するには、色素同士の相対的な位置関係の情報が必要不可欠です。
光合成アンテナLHCIIには、単量体あたりクロロフィル分子が14個、カロテノイド分子が4個と極めて多数の色素が狭い空間内にひしめき合っています。これが光励起されると多数の励起状態が同時に発生します。最初は一重項励起状態(S1)が生じ、色素間で最もエネルギーの低いクロロフィル a(図2のa610-a612-a611集合体)に集まってきます。そこから項間交差で三重項励起状態が生じます。この生体に有害なクロロフィルaの三重項励起状態を消光するのがカロテノイドです(図3)。これをいかに早く(効率よく)失活させるかが消光機構の要となります。そこで、三重項励起状態だけを特異的に検出するEPR分光は最適かつ直接的な検出法です。EPRのシグナルは微弱なため、低温で計測することで熱雑音を排除し、さらに我々はロックインアンプ法を用いて同期シグナルだけを積算することにより、極めて高感度で検出できる装置を開発してきました。
この装置を用いて時間分解EPRを計測すると、ホウレンソウでは、微弱なクロロフィルの三重項励起状態が観測されるのに対して、ミルでは全く観測されないことを明らかにしました。つまり、カロテノイドによる消光の効率が極めて高く、クロロフィルの三重項状態を完全に消去したということです(図4)。この「クロロフィルaの励起状態からカロテノイドの三重項状態ができていること」は、T-S法を組み合わせることにより、明確に関連づけられました(図1右)。ミルの集光アンテナの中で、このエネルギー移動が可能なくらいクロロフィルが近くにあるカロテノイドは、L1サイトのシフォネインとL2サイトのシフォナキサンチンです。この2か所は微妙にクロロフィルとカロテノイドの位置関係が異なるので、エネルギー伝達効率も異なるはずです。そこで、クライオ電顕法で得られた精密構造に基づいて、DFT法(密度汎関数法)によるシミュレーションを行なった結果、この極めて高効率の消光がL1サイトにあるシフォネインによることが明らかになりました。
太陽光を集めて光化学反応を起こし、物質生産につなげる光合成の仕組みの中で、最初の集光の部分は代替技術がまだ得られていません。光合成生物が持つ集光機構の解明は、火傷するような大きなエネルギーを持つ特別な光ではなく、生活光レベルの光をエネルギー生産に用いるための技術の核となる理論を作るために重要になってくると考えています。今回の結果は、海洋の光合成生物が持つ特殊なカロテノイドが、海洋で得られる青緑色の光を集光する役割だけでなく、消光効率をも上げて生体保護機能を向上する役割を担うことを明確に示しました。しかしながら現在のところはこの一例だけなので、今後事例を増やしていくことにより、消光効率を上げるカロテノイドの分子構造の特徴がより明らかになり、最終的には光合成アンテナを最適化する色素の分子設計が可能となると期待できます。
本研究は、2022年度大阪公立大学RESPECT研究助成、科研費基盤研究C(23K05721)、科研費学術変革公募研究(光合成ユビキティ)(24H02091)の支援を受けて実施しました。あわせて、イタリア大学・研究省(MUR)による国家復興・強靱化計画(NRRP/PNRR)に基づく欧州連合「NextGenerationEU」資金(プロジェクト番号:20224HJWMH、CUP:B53D23015880006/C53D23004620006)、PRIN 2022(2022H8LE9P)、パドバ大学P-DiSC 2025、Chemical Complexity C2プロジェクトの支援も受けました。
※1 EPR分光法:(Electron Paramagnetic Resonance, 電子常磁性共鳴法)。ESRとも呼ぶ。磁場中に置かれた不対電子がマイクロ波を吸収して励起する原理を利用し、ラジカルの種類や量を測定する手法。一重項状態には応答しないため、三重項状態だけを特異的に検出できるが、信号は基本微弱で、熱雑音を排除するため通常低温で行われる。今回は特に1.8 Kという極低温での計測も行った。
※2 三重項励起状態:電子がペアを作らずに、同じ向きのスピンで別々の軌道にいる、通常より高いエネルギーの状態のこと。
※3 T-S法:三重項状態と一重項状態の吸収差を示すスペクトルを取り出すことにより、特定の三重項状態の光学的性質を高感度に、また明確に分離する観測方法。
※4 クライオ電子顕微鏡法:タンパク質等の立体構造を同定する手法。極低温で凍結させたサンプルの電子顕微鏡画像を取得し、その重ね合わせから立体構造を決定できる。
※5 DFT法(密度汎関数法):量子力学に基づいた計算方法で、分子や原子の中で電子がどう分布しているかを計算し、エネルギーや構造を予測する方法。今回は、構造に基づいてEPRのシグナルを予測、シミュレーションすることにより、どの構造でこのシグナルが得られたかを同定するのに用いた。
※6 消光:光として放出されるはずのエネルギーを熱などに変えて安全に逃す仕組み。これにより、過剰なエネルギーによる損傷から生体が守られる。
[1] ホウレンソウのLHCIIについて初めて色素がはっきりわかる分解能で構造を明らかにした論文でこれまでに1500以上の被引用数を持つ。(Liu et al., Nature 428:287–292, 2004)
[2] 緑藻のLHCIIについて初めて色素がはっきりわかる分解能で構造を明らかにした本研究グループの論文。(Seki et al., BBA Advances, 2:100064, 2022)
大阪公立大学プレスリリースhttps://www.omu.ac.jp/info/research_news/entry-03405.html
【発表雑誌】Cell Reports Physical Science
【論 文 名】Siphonein enables an effective photoprotective triplet quenching mechanism in green algal light-harvesting complexes
【著 者】Alessandro Agostini*, Soichiro Seki, Andrea Calcinoni, Lopa Paul, Agostino Migliore*, Ritsuko Fujii*, Donatella Carbonera